子どもに認識させねばならない太宰治

先生そしていつ

校長先生は、理科の先生にまあ、やってくれるのはいいけれど、こんなに親から文句が出たと言ったという。その理科の先生は頭に来て、私のところに何とか教育委員会にこのことを言ってくれないかと、不満をぶつけに来たんです。

まぁことほど左様に、子どもも可哀相でして、興味の目覚めるせっかくの機会を親がつぶしているのが現状。上級学校の入試に結びついてないことはいらないというのが、いまの親の考え友親でありながら、ほんとうに子どもの幸福を考えてるのかと、私は心配になるのです。

なぜイチローはメジャーで通用したか

子どもが好きなことをするのに抵抗感を持つ親
勉強というのはまずしんどい。
子どもは自分の存在を否定されたように感じて

仕事もそうです。仕事ーしんどい。だから、労働時間短縮!いい会社、こうなってくる。しかし、おもしろかったらもっと仕事させてになるんです。もう帰れと言ってもいやいや、いまおもしろいところですから。それでまた、もう帰れと言うと、ちょっとあっちに行っててくれとなる。ポイントは、おもしろいか、おもしろくないかというのが問題なんです。
勉強すると言うと、たいていえらいね。長い時間一生懸命勉強して、えらい人だになる。仕事も同じで、遅くまでやってえらい人だ。けれども私は飲みに行って遅くまで飲んでてえらい人と言ってもらったことがないこと勉強だとか、こと仕事だと言うとえらい人だと言われる。私は会社で仕事をしているときはおもしろくて、お客さんと一緒に飲みに行くときはしんどい。

  • 母が当時ルンペン
  • 子どもに対する励みとなるものです。
  • 教育方針を明確にするとよいでしょう。

母さんにもできるのです。

こっちの方が仕事だと思ってるのに、ちっともありがたがられないで、会社で喜んで仕事をしているときにえらいですなって言われる。わけが分からない。それほど世の中の常識というのは、違う。
しかし、仕事がおもしろいと思っている人は少ない。企業戦士とかいって、何か悲壮感を持って仕事をして、給料を家に届けるだけという感じの人が多い。おもしろいことは趣味だから、趣味を持たないと人生を楽しく過ごせないと、無理矢理趣味を見つけようという人もいる。無理矢理探すというようなものと趣味は違う。好きこそものの上手なれという-が生きてないということです。好きと嫌いということが、ほんとうに分かっていない。嫌いはわりと親も許す。
指導していた。
父親が自分の生きる姿勢を通して
食べるものは嫌いって言うとはいはいって言うけれど、好きというものを理解しない。それと、好きなことをさせるということに対して、抵抗感があるんじゃないかと思う。
これはキリスト教的発想なんですけれど、まず、労働は苦なりというのは、キリスト教の基本です。
だから安息日というのがある。その安息日に仕事をして大変な目にあったことがあります。ドイツの子会社で、時差もあるし、それにちょっと残った仕事もあるしというので、会社へ行って日曜日に仕事をやった。するともう密告です。あの日系の会社は、日曜日に仕事をしてけしからんと。そして労働基準局みたいなのがやって来て文句を言う。こっちも文句を言い返す。「私の会社だ。お前らにガタガタ言われる筋合いはない。日曜であろうが月曜であろうが私の会社だ、好きにする」と言うと、喧嘩になって、もう日本に送還すると言われた。子どもがいるだろう

学習の評価の基点を零点におく。

おい、ちょっとそれは待ってくれと言ったけれど
それぐらい向こうは、日曜日に働くということはもう罪悪。それはなぜかというと、歴史を1れば毎日の仕事が苦役だ、という考え。昔の奴隷船と間違ってるわけ。いまは労働というものの考え方がやはりちょっと違ってきたんだと思うんですが、伝統的な考え方というのは、根深く国にも人間の中にも残っています。
日本人に多い無個性人間戦後日本の発展は、国の指導のもと、企業がみんな護送船団方式で団結し成長してきたことはすでに述べました。
それとは逆に、労働者側も労働者というひとくくりでものを考えていましたから、そういう意味で、労働の中に個性を見い出していないということとイコールにあって、一種の労働側の護送船団方式というのがありますだから、一律ベースアップとか、それ電気業界のベースアップは一緒だとか、まさに産別で賃金を平等に獲得してきました。
母さんは大喜び。子どもがいるだろう

子どもがいるだろう

でもよく考えるとこれは滅茶苦茶です。組織の中で仕事をしている人もしていない人も1かつてる会社と1かつてない会社も、一緒のベースアップなんていうのは信じられない。
だから、一見自由主義国家に見えてほんとうは社会主義国家で、しかもそれが成功した国というのはただ一つ日本だけです。
企業も労働側も個が存在しなくて、そういう団体交渉を始めとする全体で動くということに慣れていた。個性を発揮しようものなら、みんなでつぶすというのが企業も労働組合も同じだったわけです。では個性とは何でしょうか。個ということですが、アイデンティティという言葉があります。