子どもに語ってやろう。

先生になるんだと思っていました。

でも、嫌いなことは絶対に、そういう勇気もなんにも出ない。
だから、まず前提条件としては、自分の好きなこと、好きというのは結局
好きこそものの上手なれで、得意なことです。それがある程度決まってきたら、その分野においては相当なリスクが取れるんです極限に挑むというのは、逆の言葉で言うと、ある程度のリスクは、自分でリスクマネージメントもできるという自信というか自己責任がとれないと、やっぱりチャレンジはできません。リスクがとれるというか、要するにその分野においていろいろな知識を持ってる人は、自分自身の実力が誰よりも分かるんです。自分の能力の推定がだいたいつくんだから、極限に近づくことが可能になってくるんじゃないですか

好きなことに夢中になれる子がサクセスストーリーをっ

るイチローにも見られるように、個性豊かな人々が、それぞれのジャンルで、躍して欲しい。分かりやすく言うと、お金--かるし、いい家にも住めるし、たいな、もっと多様なサクセスストーリーが出て来ないといけないと思います好きなことに特化して活いい嫁さんももらえるみその前提として、サクセスしようと思ったらどうすればいいか。
母親であることに誇りを持っています。

一流大学を出ても何の助けにもならないし、有名企業のサラリーマンになったって、いつ何時どうなるかも分からない。それよりも、自分の最も得意な分野、好きな分野に自分が生きていることが大切です。得意であれば、世界中どこへ行っても自分の価値が付いてくる。別にリストラされようが会社が倒産しようが全然心配ないということが自分の生活を豊かにもするし、自分の好きなことをできるという生き甲斐や働き甲斐ももてるからです。
それは人によって全部違うわけです。ある人は音楽をやってる、ある人は芸術をやってる、ある人は大工さんをやってるかもしれないし、ある人は調理人をやってるかもしれない。あるいは大学の先生をやってるかもしれない、それは分からない。しかし好きなことを、得意分野をやって、それをいわゆるナンバーワン·オンリーワン的な立場にまで自分を高めていったときに、初めてそこにサクセスというものがあるということです。
最近では、子育ての中でもうちょっとプライドを持てというような叱り方をしなくなりました。

  • 母親としてはまったく未熟そこではじめて親として
  • 成績が上がればそれでいいのです。
  • 子どもたち

先生と会っても挨拶できない生徒が多い

昔の親父や先輩は、恥を知れ。そんなことをして恥ずかしくないのかと叱ったものです。その恥ずかしいそんなことしたらお前が恥ずかしいだろという感覚が、最近はどうも薄れていっているような気がします。
この頃の子どもは、それ恥ずかしいぞと言われても、いや、全然恥ずかしくないと言い返します。何で?って地べたに座ってるからこんなことしたら恥ずかしいだろと言うと、いや、別にです。いまや電車の中で化粧したり飲食したりしても平気です。要するに、子育てで染みこんだ部分はもうダメなんです。
子どもに語ってやろう。
子供のそば
私は、チューインガムを1むと母親にみっともない。人前でくちゃくちゃ口を動かすなんて、恥ずかしいと叱られた。だから、いまでもできない。
そういう叱られた経験のない子どもは、平気で人前で化粧したり飲食する。やはり親が恥を教えていないからでしょう。日本の伝統的な文化であるが、おかしくなっているということです。いま度、この恥の基準値というか文化を、子育ての中や教育の現場から甦らせるというのが、これもまた教育の使命でもあるのですよみがえ
イチローや佐々木の活躍をたまにテレビで見ますが、彼らはインタビューでも実に謙虚です。おごったものの言い方はしません。そこには、さらなる向上心を胸に秘めているのだな、と感じます。父親よりも口やかましい

育てるための家庭道徳の否定であってはならない。

このような気持ちは、たぶん、浮かれたらはずかしい、浮かれたらもう技術は向上しない、そうなればメジャーから追放されるかも知れない、という
おそれがあるから、メジャーでもあれだけの成績が残せるのだと思います。

好きなことをするなら絶対他人に迷惑をかけない

個の時代ということをやかましく言う。個性と言うと聞こえがいいけども、要するに自分勝手というか、ただ自分が好きにわがままを通すというふうに誤解されて、
それでいいんですか?と問われることがある私は、自分が好きなことをするということの条件として、絶対人に迷惑をかけないことと、人に不快感を与えないことをあげます。それは絶対いかんと思います。どんなに自分が好きなことでも、例えば音楽を大きな音で聞きたくなることがありますが、そうすることによって第三者に迷惑がかかれば、これはどんなに好きでもやってはいけない。これは一つの恥です。

好きなことをやれと言っても、周りの人がどのように迷惑を被ろうがいいというものではない。そこに一線を画すということが重要だと思うのです。それから、人に不快感を与えたり、不幸にすることこれはもう絶対条件としてダメ人は別に迷惑がらない、別に喜びはしないが邪魔にはならない。あるいはもっとうまくいったら,そうすることによって他の人も喜んでくれるとか感謝してくれる、これは最高ですが、そこまでいかなくってもいい。
教育だけでなく父親よりも口やかましい

父親よりも口やかましい

少なくとも人に迷惑をかけない。それが個の、個というものを発揮するときの絶対条件として私は入れているんです。
ある人がこんなことを言ってました。母親が、「生活は富んでる人も貧しい人もいる。しかし、たとえ継ぎの当たった下着でも、靴下でも、いつも洗って、清潔にしておかないと、一歩外に出て事故にでも遭ったときに恥をかくのは親だ。だから、いつも洗って綺麗なものを身につけていてくれ」と。
いま問題になってる子どもの親は、すでにそういうことを言わないか、感じないジェネレーションになってきたわけです。そこに問題があります。それから、もう一代上の世代は、自分はそう育てられたけれども子どもには強く言えなかった。けれど自分ではよくないと思っていたという。
その親の価値観が、例えば少々汚れた下着を着てたって、まあ皮膚病にならなかったらいいというような割り切り方をしてたら、子どもにちゃんと洗濯したものに着替えろとか、みっともない
ということを、だんだん価値観として伝えなくなる。