子どもは自分の存在を否定されたように感じて

父親を感じたと書いている

そして先生と親が一緒になって、子どもの評価というかエデュースをいかにするかを話し合う。
続いて、学年が上になるにしたがって、プロフェッショナルのテクノロジーの能力のある先生に切り替えていくといいと思います。だいたい七八歳ぐらいのところで人間の基礎的な価値観の基になるものと、動物的なセンシングが決まってしまいます。
これらはいろんな実験がありますけれども、例えば顕著なのは語学で、ネイティブな発音ができるのは、七歳ぐらいが限界。それを越えていくら上へ行って勉強しても、ネイティブの発音ではないという判断を下されてしまいます。
両親も教師

ということは、七歳ぐらいまでに耳から入る非常に微妙な音感というのは決まってしまうのです。また、それまでに道徳上の極めて基本的なもの、例えば、自分より弱いものは助けてやらねばならないというような基本的なモラルをその年齢までに植えつけられるかどうかも大切です。そのときに小さい弱い動物を殺すことが平気になってしまったら、それは、大きくなっても変わりません。だから、ほんとうにいい先生が必要なのです。読み書きそろばんなんか、少々あとでもいいんです。
それといま話題になっているゆとり教育。そのゆとりのところに、いま言ったようなモラル教育とか社会教育を入れて欲しいんです。いろいろ言われている円周率の問題も、おおよそ三でもそのときはかまわないのです。そして、五、六年になってきたら、おおよそ三というのは実は三·一四一六で、これはずーっと数字が続いているものだということを知識として教える。

  • 子どもがけんかをしている
  • 父親理由がある食事を共にするという
  • 母は必ず涙を流しました。

子供がもっとも喜び安心する瞬間なのです。

別にそれを覚えなくてもいいけど、そういうものだということを、だんだん精密化しながら教えていけばいいと思うんです。
初等教育の教師にこれからなる人も、いまなってる人も、んあります。私は小学校教育が一番問題だと思うのです。
学ばなければいけないことが非常にたくさ

シルバーティーチャーのすすめ

そう考えていくと、致命的なのは小学校の先生です。小学校の先生はいま、すごく年輩の人と、ほんとうに若い先生の両極端です。ということは、大学を出て文部科学省の試験に受かれば、初等教育一種なら小学校の先生にすぐなれるわけです。
昔は師範学校というのがあって、教師になるための、要するにティーチングプロをつくるための専門教育後には教育大学が本来そうだったんですがの機関があったのです専門の教育の場で、ティーチャーとしてのプロの教育を受けてきた人が大学を出て、すぐに先生になることは、相当のプロ教育をしてるからいいと思うのです。
両親も教師
教育をほめ方叱り方もその子の性格によって違う
でも、一般の大学を出ても、いまは教員免許さえ取ったら先生になれる。それで恐ろしいのは、一度も社会に出たことがない、そういう人が社会を教えることです。要するに、一度も会社で働いたことのない人が、
日本の産業は米はどうしてできるかモノの流通についてということを教えることになる。いったいどう教えるのか。こんな恐ろしいことはないわけです。そういうことが平気で行われている。
だからゆとり教育などと、馬鹿なことを言うな、と言っているんです。先生が何も知らないのに生徒にそんなもの教えられるはずがない。そうすると今度は先生を教育するって言うけれど、そんなことは、私は無駄だと思うんです。子どもには見られたくないでしょうしそのような人間

父親らしさとは何

文部科学省は、夏休みを利用して先生方に民間企業に入ってもらってという、インターンシップ的なものをやって、社会を肌で感じてもらうんだということを、これからやると言っています。でも私が手っ取り早いと思うのは、教職員組合でまた一波乱二波乱あると思うけれども、すでに私がいま京都で力を入れている、シルバーベンチャーなんです。
企業の定年は、早いところが五十五歳、遅くても六十五歳です。
よりも遙かに立派な人材がごまんといるわけです。
この中には、その辺の政治家や官僚しかも科学技術系であれば、電気、機械、物理、化学、生物社会系であれば、いわゆる人事関係の人とか、あるいは販売、財務関係の人とか、また美術系であれば、美術関係の人とか広告宣伝といっ各分野のベテランがいて、そういう人たちは何十年もこの社会でいろんなことを学び、社会のいろんな問題を知っている。
母親であることに誇りを持っています。子どもには見られたくないでしょうしそのような人間

子どもには見られたくないでしょうしそのような人間

まだまだ体力も能力もあるし、社会で大きく貢献できる能力をもっているところが、後進に道を譲るということで、会社からどんどんリタイアしていきます。そんな人たちの中から、将来の日本を背負って立つ子どもたちのために--もう退職金ももらってるし、年金もらってるのだから、お金のためというよりも!子どもたちを立派に育てたいという、ボランタリーの精神がある人は、無数にいるわけです。そういう人たちに小学校の先生をしてもらったら、費用もあまりかからずいいと思っているのです。