子育ての時間がありすぎる

先生であることが大切です

しかし、いいところというと難しい。「まあ、いつも陽気そうにしとるけど、対人関係もその陽気さでうまくやってるのかな……?」と
加点というような難しいことでなくても、
あの人のいいところはどこですカ?と聞かれたら、それだけでも考えてしまうんですよ。それほど難しい。でも、これからは、その人のいいところをちょっとでも引っ張り出さないことには伸びない。悪いところをいくらお前、もうちょっとこうせんとあかんでなどと言っても、いや、もう私はそっちの方はだめなんですと言われたら、それで終わりなんです何とかいいところを見い出してやり、それをおだてて、本人にそうだ、これは自分の得意分野だ
と思わせたら、もう大成功です。
子育ての時間がありすぎる

必ずその人はやるようになる。それがティーチングプロの極意ですところが教育者も減点主義に慣れてしまっていますから、通知票の所見欄でいいところを書けないんです。ですから、小学校の通知票はいまできる·できない·もう少しとなっていて、加点方式とは言えません。そういう意味からすると、減点のところは取ってしまって、この生徒は、こんなふうにぃいもんを持ってるんだ、ということでいいんですよ、先生の評価は通知票の相対評価というのもおかしくて、最高は五段階評価の五じゃなくて、無限にしないとダメですね。一00点の生徒もいれば、二〇点、10点の生徒もいる。加点評価によって五以上をどうやってつけるのか、そのシステムの問題になってしまうわけです。先生が生徒をどう評価するかという通知票のつけ方が、先生への評価になってくる。
加点できない先生は、だいたい子どもをちゃんと見ていない。だからいいところはもちろん見えてこない。

  • 先生が強い影響力を与えていく。
  • 母さんはそれからずっと考え込んでいる。
  • 子供の遊びができるという点です。

勉強しなくちゃ

たとえいいところを見たって、それが学年と共に伸びて行ってるかどうかを見てやることが大切逆に言うと、その子の特長をぴたりと見つけ出したときは伸びるんです、放っておいても親も子どもに対して加点評価をする、その通知票みたいなものを、つくらなきゃいけない。つくったらいいと思います。親がつくって先生に、「親から見たらこの子はこういうところに特長があるし、いいと思うんですけど」と伝える。先生や第三者から見たらまた違う。そこで親と先生が話し合いをして例えば、「そう、親御さんの言ってたとおりだ。この子はこういう生徒だ。
子どもの前で別々のことを言うのは問題です。
母親とのスキンシップが多かった学生からみていく
じゃあ、ここを伸ばしていきましょう」などと教育する。そういう初等教育をして欲しいと思いますね、私は。

人間好きなことをさせておけば必ず伸びる

好きこそものの上手なれという言葉がありますが、これからの教育は、何とか親も先生も社会全体も子どもに好きなことをさせてやれと言いたい。そうすれば必ず人間は伸びる。伸びたらその人は自分に誇りを持つ。要するに俺はこの分野については誰にも負けんと誇りを持てたら、ますます勉強しますその勉強というのも、好きなことをやってるときは、よそから見たら勉強してるように見えるけれど本人にとっては勉強とは違うんです。お腹が減ったときにおいしく食事を食べるのと同じように、知識を食べているわけです。おいしいから食べているだけなんです。ところが嫌いなものは、お腹がいっぱいなのに無理矢理食べさせられたり、体調が悪いのにもっと食べなさいと言われ、いらないと言ってもこれを食べないと死ぬぞと脅かされて食べさせられているようなものです。母親の指示でしか動けない指示待ち症候群

子供がいつも頑張っていることを知っていれば

全ては消化不良になり、体をこわすだけなのです。
このことは、端的に言うと、一人ひとりの人間というものをいかに大切にするかということです。これからの医療ということがよく言われていますが、望まれているのは一人ひとりの人間に合った治療です。一人ひとりの人間に合った薬を与え、一人ひとりの人間に合った手当をする。いままでだったら風邪ですと言うと、分かりました。アスピリン三00ミリグラムで終わり。太っている人にもやせている人にも、全員とにかく三00ミリグラム。風邪薬一日三錠というのも、これと同じでしょう。
母さんこそ真の意味母親の指示でしか動けない指示待ち症候群

母親の指示でしか動けない指示待ち症候群

いままでの教育もみんな同じ構造ですだからそれを、この人のためにはこういう処方箋というのが医療だとすれば、この人のためにはこういう学習と、一人ひとりに合わせるのが、これからのほんとうの教育だと思います。
これは、親が一番してやれるんです。いまは特に子どもが少ないし、ひと昔前みたいに五人も10人も子どもがいるわけじゃないんですから。親はどうして、もっと自分の子どもの個性を伸ばすことに努力しないのでしょうか。それ勉強しなさい塾行きなさいと言うばかりで。要するに、子どもをずーっと観察していたら、何が好きで得意か分かってくるんです。それを伸ばしてやればいいんです。
ところがそれがいまの親にはできない。
しかし最近、自分が何が好きなのか、よく分からないという子どもも多い。

教育だけでなく

母さんはそれもまたひとつの偏

私の仕事なんかもそうですけど、確かに、会社に八時間、九時間、十時間いても、本当に集中して仕事したなと思うのは、せいぜい一、二時間ぐらいです。じゃあ、一時間、二時間だけ会社に来てあとはどこか遊びに行けと言われても、それではダメなのです。やはり集中するための、何か雰囲気とか盛り上がりとかがいるわけです。
レストランでステーキを食べるときでも、やはりオードブルからずっとあって、メインディッシュにステーキがドーンときて、それからまたすっとデザートに行くというふうに、コースとしての流れがある。そこに一つの、何というか、バイオリズムみたいなものがありまして、それをいかに楽しく盛り上げていくかということなんです。
子どもに認識させねばならない太宰治

子供の言語や知能の発達のためには決してならない

いったんつまずくと、その日、一日中ダメなときってよくある。今日はこれをやってやろうと思って出社してるのに、何かまったくそれを阻害されるような雰囲気になってきたら、その盛り上がりのないまま、しょぼくれてしまいます。人間って、みんな同じようなものだと思います。
ベルトコンベアでの仕事についている人についても、そこに何かおもしろみを見い出せることがたくさんあると思う。それは、一つは改善という方法で出てきます。言われた通りやっていればいいのだけど、同じことをするんだったら1個ずつではなくて、三個まとめてやるともっと効率が上がり、楽にできて不良率も少ないとか。

 

学校へ通うような年齢になれば

5何の考えもなしにロボットと同じようにやっているか、一つひとつ考えながらやっているかによって、自分の職場というのは生きてくると思うんです。ですから仕事をしんどい、しんどいと思ってしまったら、私はうまく行かない気がします。

リストラの対象になるような人間を育ててはいけない

堀場製作所は小さな会社ですから、リストラという名の人員整理はやっていませんが、経営者の立場からいうと、そうした状況に迫られた場合、どういう社員がその対象となるか、お教えしましょう。
意見も提案もないかわりに、与えられた仕事は黙々ときちんとこなすという人は、無欠勤で、勤務態度は真面目で一生懸命という人が多いものです。
えてして無遅刻したがって、そんな人がリストラの対象になったとき、なぜ、こんなに会社に忠誠を尽くしてきたオレが……というショックを覚えるのはわかります。
子どもが何か物を壊したときに注意をします子育てもなかな厳しいいい方をすればしかし、非情のようですが、やはりそうなる理由はあるのです。つまり、自分の意見を言ってこない人、人の言葉に反応のない人はいないも同然なのです会議でもごもっとも、まったく会長のおっしゃるとおりですなどと言う人は、ちのいいものですが、やはり出席している意味はないということになります。
言われた側は気持それより、会長は、そうはおっしゃいますけどね。お言葉ではありますが……と言ってくる人ほど会社にとってはありがたく、必要なのです。もちろん、やみくもに楯ついてくるのも困りますし、ものの言い方一つで、かわいげのあるのや、そうでないのもあります。

    1. 子どもにもできるのです。
    1. 中学生の息子
    1. 子供が最初に出会う

先生に飛びついたのです。

私も人間ですから好き嫌いはありますが、会社にとって必要な人材とはそういう人だと思いますたてあえて自分の得意な面をアピールして、私は会社にこれだけの貢献ができる、その場合、これぐらいの地位に就けるはずだから、これだけの給料をもらってもいいはずだ、というぐらいの気構えを持てというのです。まさに出る杭になれです。
出る杭になるには、子どもの頃から好きなことをとことんやるような学び方をしていることが大切です。いろいろと食べたいのだけれども、あてがわれた料理を食べさせてもらって、それで腹が膨れたらまあこれでいいや。これからの時代は、そういう妥協をしていたら、あてがわれたメニューだけで一生を終わることになります出る杭は打たれます。それは当たり前の話です。打たれたら本人も痛いでしょうが、それでいいのだと思います。そのうち打ったほうが、手が痛いからもうやめだ、となればいいのですから。
それよりも、出ないでじっとしている杭は、しなければなりません。
これからは引っこ抜かれることになります。
子どもは自分の存在を否定されたように感じて
子どもの辛さをわかってやること。

子どもに注ぐ目がたくさんにあればあるほど

それは覚悟その際によく感じることですが、出る杭と言っても、本当に自分が出ているのかどうか、自問する必要があると思うのです。というのは、自分のまわりが出ていないために、自分が出ているように見えるだけかもしれないからです
そこのところは相対的に見定める必要があります。
自分はがんばって出ているぞと思っても、世の中全体から見たら、そんなにも出ていない。
でも会社の中では出ているつもりという例は結構ある。
の中では普通であったりすることがあるのです。
たとえその会社の中ではものすごく出ていても、世それを考えると、会社でも出ていないというのでは、こんでいるぐらいでしょう。