両親も教師

子どもは片づけよりも遊びの方がやっぱり好き

せいぜい月給10万円と足代を払うぐらいで、それはもう週に三日なら三日、午前中はいままでどおりの先生で、午後からの時間をそういう人が必ず受け持って、ずっと一年生から三年生ぐらいまでの間社会勉強をやってくれたら、その人自身も生き甲斐を感じるし、一生懸命になってやってくれます子どもだって、そういう人たちの話を聞いたらおもしろいと思うでしょう。海外で暮らしていた人には外国のいろんな話をしてもらう。アメリカではこうやっているとか、映画とか写真を見せながら。理科系の先生には、いろいろと実験をしてもらう。音楽の先生はすばらしい演奏を聴かせる。そうすると生徒はみんな他の授業よりも興味を持つ。そういうことに興味を持ち出したら、今度は勉強の方もおもしろくなってくるんです。
理科とか数学といっても、いままでとは観点が全然違うから、勉強しようか、ということになってくると思うんです。
指導していた。

人はたくさんいるし、費用はあまり要らないし、後は実行を決心するだけだと思いますでも結局、旧文部省が犯した大罪というのは、やはり教職員組合とか教師を労働者のひとりであるとする考え友先生を敬うとかそういう心の問題を自ら放棄するような考え方を容認したわけではないんでしょうけど、要するにそれをはっきりと押さえ込めなかったために、日本の国の教育をここまで荒廃させたことです。最大の責任は、やはり政治·行政にあると思います私たちが子どものときは、大臣が並んだ写真で、文部大臣は必ず総理大臣の横にいました。
いまから
思うと、法務大臣と文部大臣は副総理格だった。ほかにもいろいろ、商工大臣とか農業大臣などもいましたが、旧文部省というのは一番格の高い省だったんです。それがだんだんだんだんと格が下がり、そのうえ教育を生涯の仕事にしようとする使命感を持った大臣が現われなかった。
しかし最近になって、ようやく政治の世界にも変化が起こり、社会の価値観も変わって、こんな教育をしていたらダメだということがだんだんと分かってきた。

  • いじめて嬉しいの?
  • 高校一年生になって
  • 子どもの中でわが子がどう

教育もそのときに始まらなくてはならないはずだ。

それで親も一流大学へ子どもを入れるだけが能じゃない、ということを感じ始め出した。文部科学大臣も教育だけではなく、子どもの命も守る責任が出てきた。学校や教室に閉じこもるのではなく、地域や社会と手をつないで教育をする大切さが叫ばれている。
いままさに、私が提案するシルバーティーチャー制度について、真剣に考えてもらいたいと思う。
これがティーチングプロの極意
評価には減点評価と加点評価があるのですが、ような気がするのです実は、親も子どもをいつの間にか減点評価で見ている社会全体が人間を減点評価で見ています。
褒める
いま、ところが加点評価はプラス面で公平な評価をする以外にも、のせる
ことによって、その人間により活力を与える効果も大きいと思いますつまり、うまくのせて、一のことでも三と言ってやることによって、ああ、お母さんもお父さんもあれだけ言ってくれた、あるいは先生がこんなに褒めてくれた。
子どもは自分の存在を否定されたように感じて
個性として
よーし、もっと頑張ろう
という気になってくれることを期待するわけです。
だから加点というのは、その人が何かアクションを起こすということが前提ですけれど、起こしたアクションが未来に向かって、その人の可能性をどれだけ引き出せるのかということも含めて、あると思います。
同じパターンで同じように人を評価していくときに、常に難しいんです加点評価というのは、評価する側にとっては非単に売り上げがこれだけ上がってけがこういう数字になったから、これだけ加点するというのは割合簡単なんですが、この人がこういうアクション起こすことによって、お客さんが我が社に信頼をおいてくれた。母さんは見逃しませんでした。

子どもの関係についての話

きっとこれから先、あのお客さんは我が社へ多くの注文をくれるであろうというのが、本来企業としては欲しいわけです。しかし、それはなかなか評価が難しいのですけれど減点の方は、あいつ、あんな失敗して会社にいくら損害を与えたというように、それはすぐに結果として出ます。だから、評価する人にとっては、さらに上の人がそれを見たときに何でこんなに評価低いのやと言ったら、いや、これはこうやってこうやってこうやって、もう減点五ですわと簡単に説明できる。しかし、加点五といえばおい、あいつ、そんなとこまでやったのか?と言っても、「いやいや、それはやったと言うよりは、これだけお客さんと、うまく人間関係ができましたので、これは将来うまく行くはずなので加点しました」
大学の途中で志を立ててイギリスに渡母さんは見逃しませんでした。

母さんは見逃しませんでした。

ということになる加点評価の場合は加点した人がそこから自分がリスクを背負わなければならない。だから加点評価するのを嫌がるんです。減点の方が、どうしてもちゃんとした筋があるので容易ですが、加点評価は慎重にならざるを得ないのです加点部分をどうみるかということで、視点の変化ということを求められているわけです。悪いところならすぐ書けるもので、例えばこの部屋に入ってきたときの態度が悪いとか、いつも何かもうひとつきちんとしておらんとか、悪いのはパッパッパッパーツと書けるんです。

子どもに認識させねばならない太宰治

先生そしていつ

校長先生は、理科の先生にまあ、やってくれるのはいいけれど、こんなに親から文句が出たと言ったという。その理科の先生は頭に来て、私のところに何とか教育委員会にこのことを言ってくれないかと、不満をぶつけに来たんです。

まぁことほど左様に、子どもも可哀相でして、興味の目覚めるせっかくの機会を親がつぶしているのが現状。上級学校の入試に結びついてないことはいらないというのが、いまの親の考え友親でありながら、ほんとうに子どもの幸福を考えてるのかと、私は心配になるのです。

なぜイチローはメジャーで通用したか

子どもが好きなことをするのに抵抗感を持つ親
勉強というのはまずしんどい。
子どもは自分の存在を否定されたように感じて

仕事もそうです。仕事ーしんどい。だから、労働時間短縮!いい会社、こうなってくる。しかし、おもしろかったらもっと仕事させてになるんです。もう帰れと言ってもいやいや、いまおもしろいところですから。それでまた、もう帰れと言うと、ちょっとあっちに行っててくれとなる。ポイントは、おもしろいか、おもしろくないかというのが問題なんです。
勉強すると言うと、たいていえらいね。長い時間一生懸命勉強して、えらい人だになる。仕事も同じで、遅くまでやってえらい人だ。けれども私は飲みに行って遅くまで飲んでてえらい人と言ってもらったことがないこと勉強だとか、こと仕事だと言うとえらい人だと言われる。私は会社で仕事をしているときはおもしろくて、お客さんと一緒に飲みに行くときはしんどい。

  • 母が当時ルンペン
  • 子どもに対する励みとなるものです。
  • 教育方針を明確にするとよいでしょう。

母さんにもできるのです。

こっちの方が仕事だと思ってるのに、ちっともありがたがられないで、会社で喜んで仕事をしているときにえらいですなって言われる。わけが分からない。それほど世の中の常識というのは、違う。
しかし、仕事がおもしろいと思っている人は少ない。企業戦士とかいって、何か悲壮感を持って仕事をして、給料を家に届けるだけという感じの人が多い。おもしろいことは趣味だから、趣味を持たないと人生を楽しく過ごせないと、無理矢理趣味を見つけようという人もいる。無理矢理探すというようなものと趣味は違う。好きこそものの上手なれという-が生きてないということです。好きと嫌いということが、ほんとうに分かっていない。嫌いはわりと親も許す。
指導していた。
父親が自分の生きる姿勢を通して
食べるものは嫌いって言うとはいはいって言うけれど、好きというものを理解しない。それと、好きなことをさせるということに対して、抵抗感があるんじゃないかと思う。
これはキリスト教的発想なんですけれど、まず、労働は苦なりというのは、キリスト教の基本です。
だから安息日というのがある。その安息日に仕事をして大変な目にあったことがあります。ドイツの子会社で、時差もあるし、それにちょっと残った仕事もあるしというので、会社へ行って日曜日に仕事をやった。するともう密告です。あの日系の会社は、日曜日に仕事をしてけしからんと。そして労働基準局みたいなのがやって来て文句を言う。こっちも文句を言い返す。「私の会社だ。お前らにガタガタ言われる筋合いはない。日曜であろうが月曜であろうが私の会社だ、好きにする」と言うと、喧嘩になって、もう日本に送還すると言われた。子どもがいるだろう

学習の評価の基点を零点におく。

おい、ちょっとそれは待ってくれと言ったけれど
それぐらい向こうは、日曜日に働くということはもう罪悪。それはなぜかというと、歴史を1れば毎日の仕事が苦役だ、という考え。昔の奴隷船と間違ってるわけ。いまは労働というものの考え方がやはりちょっと違ってきたんだと思うんですが、伝統的な考え方というのは、根深く国にも人間の中にも残っています。
日本人に多い無個性人間戦後日本の発展は、国の指導のもと、企業がみんな護送船団方式で団結し成長してきたことはすでに述べました。
それとは逆に、労働者側も労働者というひとくくりでものを考えていましたから、そういう意味で、労働の中に個性を見い出していないということとイコールにあって、一種の労働側の護送船団方式というのがありますだから、一律ベースアップとか、それ電気業界のベースアップは一緒だとか、まさに産別で賃金を平等に獲得してきました。
母さんは大喜び。子どもがいるだろう

子どもがいるだろう

でもよく考えるとこれは滅茶苦茶です。組織の中で仕事をしている人もしていない人も1かつてる会社と1かつてない会社も、一緒のベースアップなんていうのは信じられない。
だから、一見自由主義国家に見えてほんとうは社会主義国家で、しかもそれが成功した国というのはただ一つ日本だけです。
企業も労働側も個が存在しなくて、そういう団体交渉を始めとする全体で動くということに慣れていた。個性を発揮しようものなら、みんなでつぶすというのが企業も労働組合も同じだったわけです。では個性とは何でしょうか。個ということですが、アイデンティティという言葉があります。