子どもだからできない

母さんの言葉を信じ

でも、興味のあることや好きなものなら、やっぱり極めようとするんです。
このエデュースを実行する場合、親も上司も先生も、相手の能力を発見するだけの自分自身の能力がなければなりません。
能力のない上司は、のか優れてないのか、ほんとうに優れてるその部下の良さも知らないし、何かに優れているとしても、分からない。それを評価する能力がなかったらダメなんです料理人でも、先輩の味が確かだったらお前のつくった料理の味はこうだって言えるけど、味覚音痴だったら、もうどうしようもない管理職の人というものは大変です。部下を見極めるだけの能力を持ってないといけない。
そうでないと、エデュースできないですから。
いまはもう、あらゆる社会現象、政治から社会から家庭から企業からが、同じような状況に直面しているのです。

子どもの代弁者になる努力が必要です教育だけが別世界の話です、などということは絶対にあり得ない。ほんとうに同じパターンで問題点を持ってます。
親はまず子どもを見る目がなかったらダメですが、子どもを殺してしまうような親だったら、見る目とかエデュースどころの騒ぎじゃない。かつてのサクセスストーリーと、これからのサクセスストリーとは当然違ってくるっていうことです。

人間には生まれながらに好きなもの嫌いなものがある

会社は決まったスケジュールでずっと動いているから、人はジェネラリストの方がいいんです。

  • 子どものことで悩んでいる
  • 母親になる
  • 経験無資格無自覚無知識

子どもには血や肉になる食品

教育はむずかしくないある極端な専門家よりは、何でもソツなくこなせるのがいい。それで、そういう人がだんだん偉くなっていくわけです。だから、ものすごく個性豊かでこれは100点だけど、これは零点という人が、会社にいると困るわけです。得意なことばっかりこの人はやりますから。いままではジェネラリストがいかにたくさんいるかということが、その企業のエネルギーみたいなものでした。しかし、いまは違います私は、教育というのは完全なフィードバックシステムがなければ、絶対いけないと思うのです。というのは、こういう方法で教育した人間が社会へ出て、これは非常にいいという面については、元の教育現場へ戻ってそれを助長するようにする。しかし、こういう方法をやっていたら悪いというなら、元へ戻ってそれを補正していく。そういうシステムと能力のある人がいて、完全なフィードバックサーキットがあるうえで教育がなされていたらいいんですが、いままではそのフィードバックが全然ないわけで偏差値主義でガーッと教育をしていって、一流大学へ入れて、いい会社へ入ったり高級官僚になったらもうこれでいいだろうと、ここで生じているいろんな問題を彼らを育てた教育現場へ戻していない。

いじめられるだからただそれゆけどんどん、それゆけどんどんと送り込まれた方は、いまやもう十年間の間に世の中はがらりと変わっているのに、同じシステムで、なおそれを強調するような教育をされていますから、大学を出てみると、「話が違うじゃないか、せっかくいい大学出たのに、僕を一体どうしてくれるんだ!」とふてくされているというのがいまの状況ですですから、フィードバックは早ければ早いほど、そしてその帰還率が高ければ高いほど、できあがったものは現状に即したものが出る。これが遅ければ遅いほど、その帰還率が低ければ低いほど、できあがったものはマーケットに対して機能しない。でも教育はもう、フィードバックが遅いどころか断ち切れていたわけです。だから、可哀相なのはできあがった人間。できあがった頃にはいらんと言われてるんだから。まさに、不良在庫をつくっているわけです。
だから、いかにフィードバックをよくするかが大事。そこで、その大本になるのは何かというと持って生まれた人間の資質です。教育というものは、ある程度能力を大きくすることはできるけれど基本的な資質というものは、もう生まれたときに備わっているんです。資質は能力ではありません。誰でもが持っている個性のようなものです。だからみんな生まれながらに、好きなものと嫌いなものってあるんです。

母さんがいらだっていいます。

例えば、音感とか味覚とか聴覚とか視力なんていうものは、ある程度決まっている。
いくら努力しても音痴なんですよ。アフリカには視力が三とか四の人がいる。しかし、11の人は、どんなに目のトレーニングをしても絶対に四にはならない。味覚もそうで、料理の味の差を分かれと言っても、分からない人は永久に分からない。
音感の弱い人は生まれたときにこの料理とこのですから、やはり人間の資質とはそういうものだということを前提にしないと始まらない。全く資質の違う人を同じような味付けをして、同じような完成品にしようというのがいまの教育でしょう。決まった答えの出し方を教えて、偏差値で差をつける。だからそれからはみ出た人は、もうはみ出たままで大人になっていくわけです。

学校の外に連れ出すと危険がいっぱいという

先生の場合その人は、もうストレスの塊みたいになってしまう。
そんなことで、人間として一生不幸を背負ってしまう。やはり神から与えられた一物資質をベスにして、音感が優れていれば音楽家に、味覚が優れていれば料理人になったらいいんだし、絵を描くのがうまければ絵描きになったらいいんだし、数理能力がすごくある人は数学者になったらいい。そういうふうに備わった資質を生かして、好きなことをさせてあげるということが、子どもの幸せにつながると思うのですそしてそれを見つけ出してやるのが、初等教育です。親ももちろんそうですが、先生が、小学校·中学校のあたりで、「おっ、君は他の人に比べてかなり数理能力が高いね。


子どもの代弁者になる努力が必要です 練習を続けないと夢を実現できなかったことを知る 子どもの代弁者になる努力が必要です

練習を続けないと夢を実現できなかったことを知る

子どもにつきつけているのです。

好きなものをやるときは、それこういうふうに、こんなにたくさん、ということを教えるんですを勉強だとは思いませんパソコンの好きな子が、夜中まで一週間も続けてやっていても、それは勉強とは思っていない。それがパソコン嫌いな人にパソコンを勉強しろと言ったら、もうウンウン言ってねじりはちまきで、頭ちょっとおかしくなりました。何とかなりませんかと言って来る。それが好きこそものの上手なのです。好きなことは勉強してると自分は思ってないけど、外から見たら勉強なんです。
まあ、そういうことですから、勉強というのは自分でするものであって、人から強引に注入されてもほとんど身に付かないのです。

子どもたちが緊張しているぶんそれをどうエデュースして、本人に学ぶ-学ぶという言葉は適切ではないのですが-好きなことをさせてあげるかということが、教育の基本なんだということを、みんな考えているのでしょうか、そういう傾向が全く見えないのです。
そして、そのゆとり教育で、確かに自由な時間を充分つくらせて、自分の楽しみとか興味あるものを発見させるんだと言っているけれど、じゃあいまの子どもに土曜·日曜休ませたら、ほんとうに自分を知るために何をするのかと言ったら、まあ、家でテレビゲームしてるかゲームセンターに行ったりするぐらいで、発見できるはずがない。

  • 先生にならなくてはならない
  • 教育の悲劇はここに始まる。
  • 教育のため

子どもたちの健全育成をはかるように私たちみん

母さんも自分先生もまた能力が低いから、社会にはどんなメニューがあって、どんなにおもしろいかということを自分が体験してないから、おもしろいよと言っても、子どもたちに先生、ほんとうに何がおもしろいのと言われると、
いや、それは、私は知らない。だけど、みんながそう言ってるんで。そんな説得力で子どもが満足するはずがない。
だから、ゆとりなんて言ってることは、全部机上の空論ですよ。私たちにしてみたら、何を言うとんねん!ですよ。あんな先生が私たちの税金使って、あんなバカな教育をしてることに、怒りを覚えます。もちろん、全てがそうだとは思いたくないのですが……。

しつけることだいま、もっとも興味·関心のあることから学べ
好きなことからやってみる、ということで言うと、
勉強は過去にーって古典からやるのではなくていまもっとも関心の高いもの、自分の好きなもの、そこから入れば、自ずと古典や基礎·基本は身に付これは日本の教育界が変わらない限り無理なことです。
どうも日本の教育では先人の単なる履歴を知らしものです。
しかし、まず古典からだということになっている。
めるに過ぎないのです。
しかし、いまのままの教育では、要するに、歴史からではダメで、自分が興味のあることをやろうとすれば、必ず文献を調べることになるのです。

子どもにやらせるとあとが大変!

そうすれば、独りでに歴史を知らざるを得なくなるのです。そうすれば、身に付くのです。
私のいた学校でも、何でこんなことを勉強しなくちゃいけないのかと、ほとんど分からないまま勉強しました。けれど好きなものは、何でこんなこととは決して思わず、「これを知らなかったら、この本を読んでも分からないから、とにかくこれ勉強しよう」となるのです。でも、全然関心のないもの嫌いなものは「これを勉強してこれだけしんどい思いをして、これはいったい自分の何の役に立つのだろう」と思ったものはたくさんあります。
いまの大学生の卒論は、先生にテーマを決めてもらわなければ書けないっていう現状があるそうですそれはもう喜劇ですよね。それをまた先生が決めてやるということ自体が頭に来る。君は何を考えてるんだって叱れと言いたい。ほんとうに情けない。
エデュースするということが、全てに欠けています。

母さんは自分の願望を押し付

教育ママがいる。企業の部長職·課長職も、言ってみれば部下の能力をエデュースしていないから、トータルに企業が社員をダメにしているということも言えるわけです力,f私は、部下教育というのは知識を教え込むのと違い、いかにその人の特徴を見い出して君はこれなら行けるぞ。やってみろ!と一言かけてあげるだけで、その人は元気も出るし、もう放っておいても自分で勉強するんです。勉強を教えるというのは、あまり可能性を持ってないのです。嫌なことはいくら言っても、右の耳から左の耳へ抜けるだけです。その人はこの時間さえやり過ごしたらいいと思ってるんです。


子どもたちが緊張しているぶん 教育の実践をどのようにしたらよいかについて 母が言ったこのひと言でずいぶん

子どもの代弁者になる努力が必要です

子どもがまた金に換えてしまうわけ

戦後、家庭教育にまで及んでいた全体の護送船団方式で国際社会に乗り込んでいった日本が、バブルが崩壊して価値観が変化して、今度は個性とか創造性が重要視され、なおかつ人間を幸福にするような生き方が模索される時代に来たときに、企業が先に気づき、それに遅れて行政が気づき、そしてやっと働いている親が気づいてきた。それでいま、ようやく行政が構造改革をし始めようとしているということだと思うのです。
そういう改革の中に、一番大きな問題として教育がある。だから教育改革というのは、しい時代をつくる過程の基礎·基本として、なくてはならない絶対条件です。その中で、うな認識で、その社会の変革に立ち向かうというか、生き抜いていくかというところを、される方も、共通認識として持っていないといけないと思うのです。

子どもはちやほやされるばかり。その社会の新個人がどのよ教育する方もいま確かに、そのことを世の親は頭で感じてる。頭で感じてはいるけれど、動き出していない。先にも述べましたが、私はいま、いろんな大学でベンチャー論をやってますが、子どもは一番めざとい。だから子どもは、一流大学を卒業して大企業に勤めても、官僚になっても、そう明るい未来はない、ということを一番よく感じているそれで子どもたちがじゃあ、自分でいっちょうやるかとか、中小企業のおもしろそうなところへ入ってやろうと言っても、親は「いや、かっこ悪いお前、こんな大学まで出てて、テレビにも出てないような会社へ行くなんておかしいと思われる」というように、まだそういう反対をすごくする。それでも父親はまだ外へ出ているから分かるけれど、母親に至ってはまだまだ学校はブランド志向です。

  • 伸びるとそれだけ動きが強く大きくなる
  • 母親を弟に占
  • 子どものためを思って注意してくれた人

子どもや若者がふえているのです

父親たちがこの対処の仕方BRAND
◎やはり女性の方が絶対ブランド志向が強い。ファッションだって上等な海外のブランドにこだわるの
は、女性でしょう。並んででも買うのもやはり女性です。ブランドというものについて、なかなか断ち切れないところに問題があります。ブランド志向は子どもの大学にまであるのです。そのブランド志向が、結局、子どもをこれまでの一流と呼ばれる大学に入れたいと思わせるのです。
ですけれど、そんな一流大学でも出るときは、ほんとに品質保証なんかされてないですよ。例えば、東大や京大出てたって、もうどうしようもないのがたくさんいる。そんな優秀な大学を卒業してるのに、何も基本がわかっていないと叱ると、私、入学して四年も経ちますからってしゃあしゃあと言う。四年も経ちますからなんて、言ってくれるなよって言うわけですよ。「入学したときは私だって優秀だった。それが四年間アルバイトしたり、遊んだり、クラブ活動してたんで忘れてしまった」っていうような感じなのです。
やっぱりこれは大学の先生が堕落していると思い、ある先生のところへ行って、の会社に推薦したなって文句言ったら、先生はいやあ、まあ、そやけど、でって言う。

しつけにも影響これが、いまの一流大学のレベルですよ。

ようこんな人間、私いまはこんなもんや

教育でいちばん大切なことは

エデュース
エデュケーションの本来の意味は引き出す
ことここでもう一度幸福とは何か
教育とは何かという根本的な問題を考えなければなりません。それは結局、日本はエデュケーションという言葉を教育と訳してしまったところに、間違いがあったのではないでしょうか。
エデュケーションのエデュースというのは、引き出すという意味なんです。それを日本は教える授けると思ってしまったわけです。

高校で自問自答をしてみてください。

先生が生徒に与えるのではなくて、先生は子どもの能力を引き出すことを第一段階にやるべきことで、ですからエデュースと言うんです。
天は二物を与えずという格言があります。私はいつも言うんですが、この格言は、一人の人間に二つもいい特性は与えてないと言うけれど、その言葉の裏を返せば、天は必ず一物は与えているということです。ですから、どんな人でも、何かひとつは絶対人に負けないようないいものを持ってるわけです。
それは音感かもしれないし、味覚かもしれないし、あるいは感情を絵に表すという能力かもしれないしあるいは解析力というものかもしれない。あるいは時には、めちゃくちゃメモリーが発達して、そのメモリーの呼び出しが早いとか、もういろんな特性を持っているわけです。
ですから、その特性を先生が見つけだす。あるいは自分自身で見つけだすためにいろんな刺激を与えてやる「世の中にはこれだけのおもしろいメニューがあるんですよ。

子供に持たせてくれるいろいろな通知状

伸ばすよう一流の寿司屋さんになるのもおもしろいよ大工さんになるのもおもしろいよ。あるいは学校の先生になるのもおもしろいよ。お医者さんになるのもおもしろいよ。それからまた行政マンになるのもおもしろいよ。弁護士になるのもおもしろいよ」
あなたの生きる道がある、先生はあなたは他人に比べてこの分野にずば抜けた能力を持っている「あなたはこういうコースへ進んで行ったら素晴らしいんじゃないですか」というようなアドバイスを与える。そして、そういうアドバイスを与えると、本人もその気になり、それをやり始める。好きなものだから、他の人よりも遙かに優秀です。しかもそれは、さっき言ったように勉強だとは思わない。


子どもはちやほやされるばかり。 才能や素質をじゅうぶんに発揮 子どもはちやほやされるばかり。

才能や素質をじゅうぶんに発揮

子供に何かおねだりされて

先生がたは非難するけれどもそれ以前に親がす
人は誰かと触れたいものなのだ。
もともと不安なときには、実験が行なわれたアメリカのスワ-スモア大学ではこんな被験者の大学生たちは最初は真っ暗な部屋に連れていかれ、そして次に明るい部屋に連れていかれた彼らは皆、初対面であったが、真っ暗な部屋では九割以上の学生が互いに触れ合い、約半数は抱き合ってさえいた。しかし、明るい部屋に行ったときに、そのようにした者は皆無であった。明るい部屋では不安がないため触れ合うことはなかったのである私たちも、が多いたとえばお化け屋敷や暗い夜道などの不安を感じる場所では、思わず互いに触れ合うことこれを逆に考えると、不安やストレスを感じている人に触れてあげるだけで、それを癒すことができるというわけである。たとえば病院で看護師が患者に触れると、患者の不安を低下させることができる実際、次のような実験も行なわれた。手術を前にした患者に、これから行なわれる手術の説明をする際に、患者の手に触れる場合と触れない場合とで、患者の不安の程度を比較したのだ。
母が言ったこのひと言でずいぶん

子どもたちがわたしのことをどう考えている
するとほとんどの患者は、看護師からの身体の接触を肯定的に受け取り、心拍や血圧を下げてリラックスすることができこのように、手術を前にした患者に対しては、体に触れることで不安を拭ってあげることが有効であるこれに対してターミナルケア終末医療の現場では、患者は目の前に迫った死と直面している。その不安に怯え、恐怖心と闘っている。そんなときにもやはり、最も意味のあるコミュニケーションはただ患者の身体に触れることである。言葉はいらない。ただ手を握ったり、背中をさすってあげるだけでいい。患者は触れられることで共感されていることを感じ、支えられている、励まされている、といったメッセージを受け取っている。

いじめたらそれで君の気は晴れるのだと思う?

癒しの手は、相手の手をじっと握ったり、抱きしめたりする。不安な人を安心させ、落ち込んでいる人を元気づけ悩める人に共感する。薬のように特異的に作用するのではなく、言葉のようにストレートに作用するわけでもなく、じわじわと体に染み込んでいくような効き方だ。だから癒しの手に触れられた人は、その手の温もりが身に染みるのである問題は解決できなくても、問題に立ち向かう勇気を与え、一人では解決できないことに対して、立ち向かおうと支持を与える。生きる力を陰で支えているのだ。
母さんのやっていることが見本となります。

母親は心配して

共にあの有名なマザー·テレサが、捨て子や死を待つばかりの路上生活者を収容し介護しているとき、必ずひとりひとりの赤ん坊に頬ずりし、病める老人の手を両手で温かく包んで語りかけていたのを、記憶している人も多いだろう。人々は彼女のあの深いシワを刻んだ頬に、荒れた手のひらに、どれだけの救いと温もりを感じ、安堵したことだろうか。
自分で触れても癒せない次に皮膚への刺激がなぜ心を癒すのか、もう少し詳しくみていこう。
一九七四年、生理心理学者のジェームズ·リンチ博士らは、心臓病冠動脈疾患の患者の腕に触れて脈をとると、即座に心拍が下がり、そのリズムも安定することを発見した16。そしてこの効果は外傷を負って意識を失い、人工呼吸を受けていた患者にもみられた。意識のない患者でも、看護師が手を握ることで、一分間に三十も心拍が降下したのである。

母さんは見逃さないで上手に導いてあげてください。

このように、触れることが、意識のない、あるいは、はっきりしない患者に対してもリラックスさせる効果があるというのは、何を意味しているのだろうかこの患者はおそらく、触れられることによるメッセージがんばってなどを言語レベルでははっきりとは受け取っていないはずだ。それにもかかわらずリラックスの反応が現われるということは体そのものが肌の接触に対して反応しているということを証明している。
ここでもう一度、ジェームズランゲ説を思い出していただきたい。身体の末梢で起きたできごとから感情が変わるというあの説である。
子どもなりお手伝いさんか誰かが代行して

子どもに対して最大な侮辱であ

皮膚への刺激が感情に影響を与えるというあの説は、やはり本当だと思えてくるだろう。
ところで、このように、皮膚への刺激そのものにリラックスの効果があるならば、自分で自分に触れたとしても同様の効果がみられるはずだ。先ほどのセルフタッチについての記述とも重なってくるのだが、自分で触れることによる癒しの効果はどれほどのものであろうか。
心理学者のヴィンセント·ドレッシャーらは一九八○年、この問題に答えるため、次の実験を行なった実験では、他の人が触れる場合と、皮膚への接触刺激そのものの効果を測るためにセルフタッチをする場合とで、心拍に及ぼす影響に違いがあるかを比較した。

    1. 母親たちが集まってよく問題にする
    1. 子供だったらどうするかと考え
    1. 子育ては親

母親の姿をイメージさせてきました。

先生に訴えるよりまずわが子

私もいろんなところから請われて、例えば大学でベンチャー論というのを、私立·国立を問わずやってますが、その中の一部の親が、堀場なんかの話に乗るなと言ってるということを、学生が私に告げに来た。「うちの親が言うには、お前変なこと考えるな。ちゃんとしたサラリーマンになれ。ベンチャなんてとんでもない」と。
しかし、私は、ベンチャービジネスをやれなどと、少しも言ってない。現に私のところへは、毎日のように手紙とかファックスとかEメールとか電話とかで、ベンチャービジネスに関する相談や質問が来るんです。しかし、ほとんどの人に対してやめなさいと進言しているんです。そのレベルで成功するほどベンチャーは簡単やないと。相談や質問の多くは実に内容軽薄で、「ビル·ゲイツがこう言うに、確率から言ったら突然変異みたいなもんだと。ベンチャーやってる人間がみんなビル·ゲイツみたいになって、何兆円も資産持つようになったら、世の中どうなるだからベンチャービジネスは、そんな安易なものと違う。

子どもだからできないほんとうにベンチャービジネスをやりたいのなら、もっとベースを固めてマーケティングをやり、そのうえ全ての勉強をしてから挑戦しなさいと言うんです。
私はベンチャービジネスで成功して、一日も早く上場したい」などと言ってる輩がいたが、全く目的を取り違えているとしか言いようがない。そういう輩が大部分だから、ベンチャービジネスが誤解されるんです。
私は軽薄なベンチャービジネス論を言ってるのではない。
人間がこれから生きていくということは
これは正直言うと全部ベンチャーなんです。これから一時間先に何が起こるか分からない。明日どうなるかも分からない。いわんや一年先にどうなるかなんて全く分からない。

  • 子どもが興味を持
  • 学校に入ったときあるい
  • 子どもの決断の理由を聞いてみるようにしましょう。

子どもたちにつかませてやりたい。

子どもの問題行動それを我々はリスクマネージメントもしながら、あるいは確率的ないろんな問題を考えながら、人生を歩んでいく。
カらなしし自己の価値観というのではなく、世の中の流れに身を任せて生きているのでは、あまりに自主性のない人間になってしまう。自分の能力を考え、自分の限界を考え、あるいはどこを伸ばしたらどのような人生が開けるかという展望と希望と夢を持ち、そして自分の自己実現のために日々を送るということこれがベンチャー魂なんです。

先生に叱られたと思ってはいけない。だから私は、人間はベンチャー魂がなくなったら、もう死に体だぞ、という話をしてるのだけれどベンチャー論というとすぐ、ひとつお前らなぁ、ベンチャービジネスやって、山-けてみいというようなことを、私がアジテートしてるように思っているんでしょう。
ことほどさように、世の中というのは、まだこういうふうに未熟です。これはしょうがない世の中全体のレベルを上げないと、教育だけが突出して改革することはできないのです。しかし、私の見る範囲内では、世の中の進行の中で、教育が一番改革スピードが遅いと思います。
何のために子どもを大学へ行かせるのか日本の企業が成長し発展するために、特に戦後、明確なスタンスを持ってやったのは、護送船団方式だったんです。同業が集まって、そしてみんな下手な喧嘩をせずに、仲良くやっていこうと。そして、それがやはり最大の利益をもたらす、という考え方でした。もちろん会社個々の競争はあったけれど日本ほど同業が集まって護送船団方式で動いたところは世界の中ではない。また、行政もなるべくそういう方向にやれと指導していた。

子育ての現実を見る

そういうことで、例えば重電見ても、鉄鋼見ても、金融関係見ても、企業格差というものを特に無理に持ち出さずに、逆にいえば一つのパターンの中に、いかにうまく入れ込むかということが、経営の基本だった。従って、そこに従事する人間も、特殊な考えを持ってる人よりも、しっかりとしたマニュアルを忠実に実行する人が欲しかったんです。
そうなると、結果論として言えるのは、やはり一流の大学をしかも優秀な成績で終えた人を採っておけば、まず企業としては間違いないということ。そういう人たちは、いわゆる偏差値教育的な成績が高かったから、正しいマニュアルさえ渡せば、そのマニュアルを非常に忠実に、しかもレベル高く守ってくれるということで、企業にとっては非常にありがたい人材だった。

育児には参画してきたという自負があります。

学校もよく休む。しかも企業教育をそんなにしなくとも、企業で必要とされる能力はすでにもうできあがっている。こういう背景から、大学のブランドというものが非常に効いたと思うんです。
ですから、個人の特異性というものは、企業にとっては逆にいらない、というよりも邪魔になったかもしれません。奇抜な発想を持った人や特異な個性を持った人は、一流大学に入る前に振り落とされてるはずなんです、偏差値教育的なことが嫌いですから。偏差値教育によって現在の日本の人材というのは、だんだん金なものになってきたということでしょう。戦前はいろんなおもしろい人物が出ていたのですがそこで、いま大学は何のためにあるのかということなんですが、大学そのものが、もうほとんど目的化されました。大学へ行くということが、本人のただ一つの、最後の目的になってしまった。本来大学というのは、より多くの情報や深い知識を得て、それをベースにして社会に貢献もするし、また自分の能力をそこで発揮することによって、生き甲斐·働き甲斐を学び、感じるための手段としてあったのですそれがいまや、一流大学に入ることが目的であって、入ってしまったら、後のコースは高級官僚になるか、大企業のサラリーマンになるかということで決まってしまっている。


子どもだからできない ヤマハ音楽教室を東京で探す 教育の実践をどのようにしたらよいかについて

子どもたちが緊張しているぶん

母さんの溺愛がその背後にあるとすれば

育児を両立させよう
その結果、他の人に触れてもらう条件でのみ被験者の心拍数は減少することがわかった。
最近、いたが、テレビ番組で人前であがらない方法を実験で紹介していた。
その中のひとつに、人に手を揉んでもらうというのがあった。
いくつかの方法が紹介されてこれは確かに有効な方法であろう。解剖学的には、手の感覚皮質というのは脳の中でもかなり広い領域を占めている。その手への刺激というのは、脳に直接はたらきかける力が特に大きい。そのうえ、他人に手を揉んでもらうという刺激が加わるので、交感神経が優位の緊張·不安な状態から、興奮を鎮める副交感神経が優位な状態へと変換するのであるそれにしても、いのだろうか。
自分で刺激を与えることでは、どうして人に触れられるのと同様の効果が期待できな体への刺激というのは不思議なもので、同じ刺激でも自分で自分を刺激するのと人から刺激されるのでは、感覚がまったく異なるということがある。
子どもなりお手伝いさんか誰かが代行して

父親の厳しさに一度も触れることのでき
性的な刺激の場合や、この章のはじめの方で述べた
くすぐったさの場合でも、皮膚に加わる刺激自体は同じでも、それを加えるのが自分であるか他人であるかによって、感じ方が違ってくる。残念ながらそのメカニズムは未だ明らかにされていない。
手当てで体の痛みが癒える理由次に、体の痛みとスキンシップについてみてみよう。
人が体の痛みを感じるときは、実は心理的な要因が大きく関与している。
ビーチャーは、第二次世界大戦中に、野戦病院に運びこまれた兵士の、傷の深さと痛がる程度を、普通の外科病院での手術で同程度の傷を受けた市民が痛がる程度と比較した18すると、ほとんどの兵士は、自分の大きな傷が痛むことを否定したり、傷は小さいから手当ては必要ないと答えていた。

いじめられたりこき使われたりするのではないか。

一方、市民の多くは、同程度の傷に対してでもひどい痛みを訴え、八割以上の患者が痛みの手当てを求めた。このことから、戦場で必死で戦っている兵士は、痛みをそれほど感じないことがわかる交通事故で負傷した人の中にも、事故で気が動転していたり、に鈍感で、事故の数時間後に初めて痛みを感じる人も多い。
必死で救助活動をしている間は、痛みこのように、痛みというのはそのときの心理状態が大きく関与している現象であることがわかっているまた、痛みは、皮膚が接触することによって、感じる程度が変わってくることもわかっている。
手当てという言葉からもわかるように、身体の痛みのある部分に手を当てることは、身体が示す自然な反応である。誰でも、腕を怪我したらそこを擦り、お腹が痛いとそこをなでるように、自然にその患部に手を当てているものだ。
子どもたちが緊張しているぶん

いじめているだけです。

それが医療の原点なのだ。
看護にしても、の字を見るとわかるように、が含まれている。本来はてよく見るという意味で、患者の身体と心の隅々まで手で触れてよく見るということだ
手をかざし身近なイヌやネコが、傷を負ったり痛みのある部位を舐めたりしているのも、よく目にするだろう。
これは、傷口を唾液で消毒しているだけでなく、舐めて別の刺激を加えることによって痛みが和らぐことを本能的に知っているからだ。
それではなぜ、痛みのある部位をなでたり擦ったりすると痛みが和らぐのだろうか。

成長ぶりを見せるはずです。

皮膚への刺激が痛みを和らげる現象について総括した理論を考え出したのが、心理学者のメルザックと解剖学者のウォールだTH一九八六年。彼らは指圧やマッサージをしたり、皮膚をなでたりして皮膚に圧をかけることで、なぜ痛みが和らぐのかを明らかにし、これをゲートコントロール理論として発表した。
そのメカニズムは次のとおりである痛みを感じ、それが脊髄の神経を伝わり脳に到達するまでの間にはゲートがあり、ゲートが開かれているか閉じているかによって、感じる痛みの程度が異なる資料3-6参照
小学校入学直前の春休みに買ってあげたものです

子育てにもろくに参加しなかった父は孫

神経には触覚や圧覚を伝える太い線維A-beta線維と、痛みを伝える細い線維A-delta線維とがあり、これらに伝わる信号の相対的な強さの関係で痛みは決まるのである。触覚をつかさどるA-beta線維は、A-delta線維よりも速く信号を伝えて、痛みより先に脳に達するため、A-beta線維を刺激すると、痛みを伝えるゲートを閉めるはたらきをするのである。こうして、痛みのある部位をなでたり圧を加えることで痛みは和らぐのである
誰でもつい、体の痛みのある部位に手を当ててしまうのには、このような理由があったわけだ。さらに、これを人にしてもらうと、不安やストレスを癒す効果もあるため、痛みを感じる程度はさらに軽くなるようだ。
子どもが怪我をしたりして痛がるとき、その部位に手を当ててやると、あまり痛がらなくなる。
よく、いたいのいたいのとんでけーとやる。これは子どもの不安を心理的に拭っているのと同時に、注意を逸らすといったプラシーボ効果偽薬効果をうまく利用したものだ。

    1. 母さんは時
    1. 母親が毎日ママがと言っていると赤ん坊はやがて
    1. 学習が進まないことばがおくれる。

母さんのやっていることが見本となります。

子供に対する期待

子どもの人格を無視していることになります。
また,そまず、傷口に手を当ててなでてやると、痛みのゲートコントロール理論によって、痛みは軽減する。
さらにとんでけーとやって、痛みを体の外に取り出す動作をすると、本当にそうなったような錯覚を起こし、痛みの程度がまた軽減する。こうすることによって、痛さによるつらい気持ちを、かなり減らしてあげることができるだろう。
PTSDにも有効なマッサージもう一つの痛みである、心の痛みについてみていこう。
心の痛み、あるいは傷として起こる代表的な心の病は、PTSDPost-traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害である。これは、普段体験しないような大災害や事故を経験したあとに、度の覚醒をしたり、嫌な体験を頭の中で追体験してしまう、といった症状が現われる病気だ。
過一九九二年のことであるが、マイアミ地方をアンドリュー
もたちがその恐怖からPTSDの症状を呈しはじめた。
子どもだけでなく大人の誰

子どもは自主性
というハリケーンが襲い、多くの子どそこで前のページでも紹介した、タッチケアの創始者であるマイアミ大学のフィールド博士らは、次の研究を行なった彼女は病院にきた子どもたちを二つのグループに分けた。1つのグループには1カ月の間、週に二度ずつマッサージを施し、もう一つのグループにはリラックスのためのビデオを同じ時間見せた。
一カ月後に子どもたちの症状を比べてみると、マッサージを受けたグループでは、PTSDの症状も抑うつも非常に軽くなっていたのだが、ビデオを見せたグループでは、症状は軽減していなかった。
この結果について、フィールド博士は、このような衝撃的なできごとで心に傷を負ったときというのは、子どもは身体的な愛情を普段より強く求めるのであり、マッサージはその欲求を十分に満たしてぁげることができる、子どもばかりでなく大人でもみられるそうだ。

大学はこのへん会社はまあこの程度には入れる

今度は、そして同じ傾向は、と述べている。
さらにフィールド博士は同じようなマッサージを、虐待を受けた子どもにもやってみた。
やはり絵本を読んであげたグループと比べてみたすると、絵本グループよりもマッサージグループは、睡眠時間が長くなり注意力が増し、くなっていた。マッサージによって心の痛みが癒された証拠だろう。
抑うつは軽実際、子どもは幼稚園や保育園などで友達とけんかをしたり、嫌なことがあったりすると、母親の膝に乗ってきたり布団に入ってきたりして、スキンシップを求めることがよくある。そのような行動は子どもが心に何か痛みやストレスを抱えているというサインなのである。このようなときは、十分にスキンシップをして取り除いてやらなければいけない。
子どもだけでなく大人の誰

子供から見てもお父さん

大人でも、普段あまり触れてこない夫が、急に妻にべたべたと触れてくるようなことがあったら、注意だ。仕事でなにか失敗したり、上司に叱られたりして、心に傷を負っている可能性が高い。
要こういうときは、夫の肩をもんであげたり、ツボを押してあげたり、て、心のバランスを回復させてあげるといいだろう。
お互いにマッサージをしたりし

日本の教育をダメにしたのは誰か

教育をダメにしたのは、一に社会、二に企業、三に親いま、改めて考えてみますと、戦前の大学への進学率は、せいぜい11パーセントから三パーセントまででした。

母イチさん

そして一部の裕福な人を除いては、家庭の経済的負担の問題もあって、進学をしてなおかつ大学を卒業するということに、大変な苦労をしたものです。まあ、苦労はいまの親御さんでもしてるんしかし、その当時は、「将来自分は何になりたいか。そのためにどういう勉強をしなければならないか。
そのためにはこういう先生につきたい。その先生は00大学にいるからその大学へ行こう」という自分の意思を持っているというのが、我々のジェネレーションでは当たり前の話だったんです。
単に、どこの大学に行くというのではなく、いわば野球で言うと長嶋がいるから巨人を好きになるとか、イチローがいるからメジャーを目指すというように、先生の存在に対して、門下生になりたい、あるいは教えを乞いたいと願い、その先生がどの大学に所属しているかということが、大学に行くということの大きな目的だったのです。
子どもたちが緊張しているぶん

母さんしっかりはっきりしている。

ところが、いまは目的が全然違うわけです。ただ大学のブランドが欲しいのであって、極端な言い方をすれば、何を勉強したいのかも決まっていないことすらある。しかしそういうことであっても、やはり社会や企業が、一流大学の卒業生だったらありがたがって受け入れていたわけです。だから、大学をブランド化したのは、社会や企業に一番責任がある。その次に責任があるのは、勉強のできる子どもは必ず幸せになれる、親孝行だと考えた親なんです。
親が、子どもは一流大学に入れさえすれば必ず良いところに就職できる、そうすれば世の中でいい立場になれる、それが子どもの幸せであると過信したこと。

    1. 母を必要としている時期には稼ぎを減らして
    1. 子どものために聴く。
    1. 幼稚園に行くころ

子どもはちやほやされるばかり。

母親も教師

子供の気持ち
顧客や社会が求めているものを皮膚感覚でも確実に把握しているのだ。自社の属する業界以外のことにも詳しこの卓越した皮膚感覚をもつ人は、自分自身への相当な支出を惜しまない。
るための支出だけでなく、身体を磨くための支出であるそれは単に情報を収集す毎朝のジョギングを欠かさなかったり、ヨーガを習ってみたり、週末に山に出かけて違う空気に浸ってみたりする、といったことだ。頭だけでなく身体も同じように鍛える。筋力アップのためではなく身体感覚、とりわけ皮膚感覚を鍛えるための努力をしているのである。皮膚感覚を自分を守る鎧にするのではなく、世の中を感じとるための精度のよいアンテナにしているのだこうした皮膚感覚を磨くためには、ふだんとは違う行動を起こすことが何よりも大切だと思う。
教育の実践をどのようにしたらよいかについて

先生がそう言ってたの。
休日に、ふだん行くことのない美術館やコンサートにふらりと出かけてみる。あるいは、面倒だと思っても、仕事の現場に赴いてそこにいる人と一緒の空気を吸う。歩いて筋肉を使うことで、皮膚の血流も活発になり、感覚も鋭敏になるだろう。多くの発見や発明が、歩きながら考えているときにひらめいたというのも周知の事実だもしくはてっとり早く、毎朝、その日の気温と湿度を温湿度計を見ずに当ててみる。その日の天気を自分の肌の感覚を頼りに予想してみる。このような些細なことで、皮膚感覚は徐々に鍛えられてくる。
まずは、考える
のではなく体で感じる
ことなのである
皮膚の判断は頼りになるもの前出の神経心理学者のダマシオは、一九九四年、大脳の前頭葉に損傷を受けた人たちの行動や心理状態についての研究をまとめている彼らの行動の特徴を心理テストで調べてみると、その論理能力や注意力、記憶力などは、健常な人たちと比べて一切劣るということはなかった。しかし感情はいたって平坦で、無感情であり、意思の決定に困惑するというものだった。

父親に言われた一九七二年ごろ

このため、一見すると普通なのであるが、日常生活に不都合があり、正規の就業ができなかったりするのだダマシオによれば、たとえばある状況で将来を予期して行動を選択意思決定しなければならないとき、無数にある選択肢から一つを選ぶ作業は、知的判断がなされる前に、直感的にある程度選択肢を狭めることができないと、不可能であるという。
この直感は、その場の状況で感じられる気分や感情に基づくものに他ならない。だから、感情に不全のある前頭葉の損傷者は、日常生活で意思の決定に困難を示すのだ。すべての選択肢を一つ一つ理屈で判断しようとしても、とてもできるものではない。過去の経験をもとにして、あるいは初めて遭遇する状況でも、直感で判断しなければならないのだ。
直感で判断したことというのは、案外正しいものが多い。直感というのは、皮膚や内臓から生み出されてくる感覚なのだと思う。感覚器官としての皮膚、あるいは内臓としての皮膚の感性を磨き、判断や意思の決定の際の、信頼に足る良き僕として、鍛錬するのだ。
小学校入学直前の春休みに買ってあげたものです

体験をくぐっ川添恭子の親

前出の博報堂生活総合研究所が十年前に行なった調査をもう一度みてみる。
商品を購入するか、という消費動向を探るための調査だどの五感をはたらかせてすると、人数の割合としては、ふだんモノを購入するとき、視覚的な直感をはたらかせている人が圧倒的に多く、逆に最も少ないのが触覚だった。さらに、五感の中でもし1つを失うとしたら、どれを選ぷかという質問には、触覚の選択人数が最も多かった。
しかし逆に、最も軽んじられている触覚を鋭くすると、それがほかの感覚にも波及して、その感覚を鋭くする、というデータも、同じ博報堂の調査で出ている。

中学生がよく吸うと聞いている。

そして、触覚が鈍い人は、触覚は安全に暮らしていくために必要なものという程度にしか感じていないのに対して、触覚が鋭い人は触覚は文化的·創造的な暮らしのために必要であると感じている。多くの人にとって、五感の中で最も鍛える余地があるのが、触覚だといえよう。
実際、触覚が鋭い人と視覚が鋭い人の特徴はどのように違うだろうか視覚が鋭い人の特徴は、デザインにこだわり常にコーディネートにこだわり
衝動買いが多い
という特徴をもつ。それに対して触覚が鋭い人は、世の中運よりも努力であると考え、暮らし方をしており、また計画的に買い物をしているという堅実な性格の人が多い。

シンプルなこれは、視覚優位の人は、モノに触れないで、表面的な好き嫌いで判断することが多いのに対し、触覚の鋭い人は、何にでも触れて確かめないと気がすまない性格から、手間がかかってもゆっくり着実に判断する、という性格の違いが現われているように思われる。
母さんのやっていることが見本となります。

母さんになんにも言えなかった。

だから、視覚優位の人は、触覚の鋭い人の生き方を参考にしてみること、逆に触覚が優位な人は視覚の鋭い人のライフスタイルを摂り入れてみることで、それぞれ自分の五感の中のとなっている感覚に光をあてることができ、それを磨くことが可能になるだろう。
なでなでは心を癒す触れるだけで心拍数が下がる最後に、スキンシップの持つ癒し
の効果について、見てみよう。
スキンシップは、体の、そして心の痛みを癒すために、たいへん有効であることが誰でも不安やストレスを感じたとき、人からぎゅっと抱きしめられたり、わかるはずだ背中を優しくなでてもらったことで、落ち着きを取り戻した、という経験があるだろう。

    1. 子どもは感覚がマヒして
    1. 母であるあなたはびっくり仰天して
    1. しつけの基本に係わる

教育の実践をどのようにしたらよいかについて

経験を積んでいきます。

子ども自体をどうも好きになれない
チこのような顔の表情と手の矛盾を巧みに表現したのが、芥川龍之介の手巾という短編小説だある日、一人の母親が、息子の死を報告するために、教授のもとを訪れる。その表情はあくまで平静で、顔に微笑さえ浮かべている。だが、教授がふとテーブルの下に目をやったとき、彼女の両手はンカチを引き裂かんばかりに強く握りしめたまま、震え続けていたのである。芥川は、顔と手の鋭い対照を描写することによって、母親の絶望の深さと、それを相手に見せるようなはしたない振舞いはするまい、という、壽の女性の気骨のようなものを見事に表現したのであるこのように、非言語行動どうしで表現の食い違いが起こる場合はよくある。一九五六年にグレゴ·ベイトソンは、この現象について、詳細な観察をもとに、ダブルバインドセオリーdoublebindtheoryとして理論化したダブルバインドとは、先に少し述べたが、二つの異なるメッセージを六力同時に受け取ることで、板挟みにされてしまうことである。
練習を続けないと夢を実現できなかったことを知る

子どもではなく
ベイトソンは、自分の世界に閉じこもり、人に対して無関心、あるいは冷淡で、妄想癖のある精神病質患者のいる家庭には、愛と憎しみ、あるいは愛と恐怖などの二重のメッセージが多く交わされることを指摘しているたとえば、子どもが親に何かおねだりしたときに、好きにしていいよと言葉で伝えながらも、顔は無表情で冷淡だったりするのである。このような矛盾したメッセージに挟まれて、子どもはどちらを本心と受け取ったらよいのかわからなくなり、拘束されたような状態になってしまう。その繰り返しが統合失調症の原因になると考えたのであるベイトソンは言葉と非言語行動との矛盾を指摘して理論を作ったのであるが、動どうしの矛盾や食い違いもある。

子どもたちが集まっていてその中

前述のように非言語行非言語行動にはいくつかの種類があるが、その中でもスキンシップは本心を偽ることが極めて難しい嫌いな人とでも笑顔で接することはできる。しかし嫌いな人にわざわざ触らないだろう。万が一嫌いな人に触れなければならない状況になり、相手を触ったとしても、触り方までごまかすのは難しい。ぴったりと手のひら全体で触ることはできないだろう。無意識のうちに指先でしか触らないかもしれない触れ方には、その人の気持ちがそのままストレートに現われるのであるとくに手のひらの部分は、感情を表わすという。手のひらはとも書く。これはと読まれるが、てのこころが変化したものである。手に汗を握る手のひらを返す
手が心を表わす慣用句も多い。
子どもの代弁者になる努力が必要です

大学生二百六十二名の中から幼少期

たなごころ
などのように自分の身体の動きを客観的にみることで、ることができるのである自分自身が気づいていなかった心の動きについても、知
皮膚感覚は鍛えられる次に、皮膚感覚は自分で鍛えられるか、という点についてみていこう。
もちろん生理的にみると、皮膚には痛覚、圧覚、冷覚、温覚などの感覚があるわけだが、ここでは心理的な皮膚感覚
について、注目してみたい。
よく、世の中を皮膚感覚で感じるという言葉が使われる。

父親を軽視するような態度になってくる。

理屈や計算で判断するのではなく、ものに直に触れたり、その場に身を置いたりすることで、直感で判断するようなことをいう。
そのじか世の中にはそのような能力が必要とされる職業とそうでない職業がある。前者は、たとえば絵画や音楽などの芸術家、ワインのソムリエや伝統工芸の職人、発明家、カウンセラーなどの職業である。後者の職業では、理論やマニュアルが重視される世の中、計算だけでうまく結果を予測することができれば、誰も苦労はしないだろう。株は必ず儲か店を出せば飛ぶように売れる、などという儲け話は、理屈や計算からは生み出されてこないことが多い。ちょっとしたきっかけを見逃さずに、それをチャンスにしたとか、ちょっとしたひらめきで大儲けした、という話の方が多い。
才能や素質をじゅうぶんに発揮

学校もあるんだよと私はそう諭したものでした。

このようなことを可能にする人は、五感を張り巡らせ、つねに皮膚感覚を鍛えているからこそ、からは抜け落ちてしまうようなことを敏感にキャッチできるのだろう。
計算しかしそうかといって、すべてを皮膚感覚に頼るのは危険である。理論家は皮膚感覚が欠けており皮膚感覚が長けている人は理論に弱いことが多い。だから、たとえば金融機関に勤めているアナリストや、IT産業に従事しているシステムインテグレーターであれば、その専門性を深めるのと同じくらい、商品や商売のリアルな知識を高めたり、消費者のニーズを直に感じたりすることで、皮膚感覚を磨く努力をするべきだろう。
また逆に、営業マンやサービス業、小売業などに従事している人であれば、その業界の現場で皮膚感覚に基づいた経験を深めるのもさることながら、金融理論や経営理論、ITの知識などを勉強するのもよいと思う先を読むことができる経営者というのは、共通して卓越した皮膚感覚を備えているといえる。

    1. 子どもの自発性を尊重
    1. 先生がなんの騒ぎなのかと見に来てく
    1. 子どもに聞いてもたいていの場合

教育者にはティーチングプロの自覚が必要

子どもにわからせることが大切です

母親が動き
そしてまた、自分の身体の無意識的な動きや感覚を客観的に見ることで、自分をよりよく知ることはできるのだろうか
まずは、自分で自分に触れることの意味、そして効果についてみてみよう人は不安や緊張が高まったり、困惑したりすると、たり、鼻の下をこすったり、頬をなでたりする。
自分の体に触ることが多い。
首の後ろをさすっもともとセルフタッチは、新生児が自分の身体を認識するための行為である。新生児は起きている時間の実に二〇%は、手を顔や口にもっていく。また生まれる前の胎児の段階から、すでに、指しゃぶりをしたり手で顔に触れたりしている。
セルフタッチの面白いところは、たとえば手で顔に触ることは、手と顔の皮膚の両方を刺激しているというところにある。このように、手の運動感覚の体験とそれによる顔の触覚の知覚が結びつくことによって、自分の身体を同定しているのであるそれでは、どのような場面でセルフタッチが多く出現するのだろうか。
教育者にはティーチングプロの自覚が必要

子どもも真剣にそのことばをとらえて
心理学者のゴールドバーグらは一九八六年、面接場面で、被験者にプライベートな質問をして不安を喚起させる場合と、雑談をする場合とを比較して、どちらの場面でセルフタッチがより多く起こるかを観察した,すると前者のほうが、被験者の不安が高まり、圧倒的に多くのセルフタッチが起こることがわかったまた幼稚園における幼児の行動を観察した研究によると、幼児の指しゃぶりが増えるのは、幼稚園に入園したばかりのころや、何かを奪い合って負けたとき、叱られたとき、知らない人が部屋に入ってきたとき、母親と別れたとき、などであった。

高校に入ってからとか時

これらの場面は、要するにストレスや不安が高まった状態であることがわかるつまり、セルフタッチが多い人というのは、緊張したりストレスを抱えていたり、安定になりやすい人である、ということがうかがえる。
欲求不満で心が不嘘をつくときにも、人はセルフタッチをする。それは嘘をつくことによって、不安が高まるからだこの場合は独特の行動を示す。口を隠そうとするのだ。鼻を触ったり口の周りを手で擦ったりして、口を相手に見えないように遮ろうとするここで、嘘をつくのが上手な人と下手な人との違いについて、注目してみようこんな実験をしてみた。被験者が嘘をつく場合と本当の話をする場合とで、セルフタッチの度合いが異なるかについて検討したのだ。このとき、予め二百名ほどの学生にアンケート調査を実施して、的スキルの得点を測っておき、その高得点者と低得点者を被験者に選んだ社会社会的スキルとは、人とうまくやっていくための技術である。
母が言ったこのひと言でずいぶん

子どもが興味を示していないのに押

人は嘘をつくとき、相手に嘘が漏洩してしまう不安やストレスが高まり、セルフタッチが多くなるわけだが、社会的スキルが高い人はそれを相手に悟られないように、自分の行動をコントロールできるか否かについて調べたわけである実験では、日常場面で起こったできごとについて、1分程度の話をしてもらっ話をしてもらう場合と、嘘を盛り込んだ話をしてもらう場合を、それぞれビデオで撮影した。そしてそのビデオを後日、実験の目的を知らない人たちに評定してもらった。ビデオ評定の結果、社会的スキルが高い人も低い人も、本当の話をするときよりも嘘の話をするときの方が、セルフタッチは増加していた。従来の研究と同様、特に手で鼻や口に触る動作が増加していた。これは無意識のうちに手で口を覆い隠そうとしたり、あるいは緊張した口周辺を触って緩めようとして、自然に手が口元へいってしまうのだろう。
このとき、本当のまた、その増加の割合は、社会的スキルの低い人ほど高いこともわかった。
つまり、誰でも嘘をつくときには、セルフタッチの頻度は高くなるが、社会的スキルが低い人ほどその傾向が強いのだ。

教育すくなく

社会的スキルが高い人は、嘘をつくときには手の行動までも意図的にコントロール
しているので、セルフタッチはそれほど増えなかったわけだ。
余談になるがこの実験から、嘘を上手につくためには、手の動きにまで十分に注意を払うことが重要であることもわかる。ただし、手に細心の注意を払ってうまくコントロールしたつもりでも高まったストレスは、発散のために他の手段を探すだろう。
そこで次に、いろいろなしぐさについてもみてみることにしよう。
矛盾したしぐさに現われる本心
子どもが嘘をつくと、大人にはすぐにバレてしまう。
それは、すぐにもじもじしたり、視線を合わせなかったりして、不安な気持ちがしぐさや行動に現われやすいからだ。また、嘘をつかなくても親に隠しごとがあったりする場面でも同じだ。
母親の姿をイメージさせてきました。

子育てにおいて

心が不安定になっているのがすぐにわかる心理学の実験でみると、こういうときには、頭から離れた部位ほど、不安定な心が表出されやすいよたとえば顔の表情など、人に見られる部位というのは、平静を装ったり笑顔を繕ったりする。
バレないように一生懸命コントロールする。
しかし、手や足というように、人の目に触れにくい部分には本心が現われやすい足をぶらぶらさせたり、貧乏ゆすりをしたり、しきりに足を組み替えたりする。女性の場合には、手の指で髪にしきりに触れたり、指いじりをしたり、というしぐさもよく見られる。

    1. 子どもの発達に合った手直しは必要ですね。
    1. 母親の考えとはとことん喰い違っている
    1. 先生に担任してもらえたのである。