母が言ったこのひと言でずいぶん

子どもは実感するでしょう。

子供たちが帰り道を歩いている
そしてもうひとつが、親自身のプライドなのです。うちの子は00大学に行ってると言うと、まあ、お宅のお子さん優秀ですのね!と、まわりから言って欲しいという自分の虚栄で、親が子どもの進学率をどんどん上げていった、しかも一流大そして、そういうことをある程度認識しながら、何も改革しなかった現場の先生にも罪がある。けれど、一番の大罪を持っているのは、そういうものを安易に受け入れるというか、それが社会のニーズであると思っていた政治家や行政ですところが、いまや時代は変わりました。いまでは、一流大学を出たからその人は必ず幸福になれるというようなことは全くなくなったし、それから官僚高級官僚になったからいい人生を送れるという保証もないし、いい企業に入ったからといって、いつどうなるか分からんしということになってきて、社会全体が、一人ひとりの人間というものの能力というかアビリティというか、そういうものこそ大切であって、肩書きの重さというのは、だんだん軽くなっていくという時代に入ったことは、みんな薄々感じてると思うんです。
小学校入学直前の春休みに買ってあげたものです

勉強もあります。
では、どうしたらいいのかということが議論され、大学入試制度こそが問題だと分かっていても、その改革に親も踏み切れていないし、学校も踏み切ってない。
教育改革、教育改革と森首相の時代には叫ばれ、早く教育方式をやり直すべきだというのは正しかったと思うのですが、口では言うものの、今度の文部科学省が打ち出した、ゆとり教育でよく話題になる円周率をおおよそ三にするとかいうのは、私の考えてる教育改革とは全く別の方向に進んでるわけです。この認識の違いに対して、やはりどこかで警鐘を鳴らさなければならないと思ってるんです。

幼児期に楽しみながら勉強させろ

教育改革は、私は幼児教育から始めるべきだと思うんです。非常にはっきりしているのは、人間はだいたい111歳ぐらいのときに、まず第一段階として、動物としての本能的なものとか、自分が生物であるという基本的な認識を自覚するわけです。

子どもを助けてくれないそうはいって

それから七歳から八歳にかけて、その人の将来の基本となるモラルみたいなものとか、あるいは五感、つまり、見るとか聞くとか味覚とか皮膚感覚とか、そういうものがそこである程度固まるわけです。
要するに、その時期に基本的なことをやっておかないと、歳とってからというのは-私が歳とってからというのは、十歳を越えてということなのですが-ものすごくしんどい。いわんや二十歳を過ぎてからやるなんていうのは、もうほんとうに苦になるだけです。
一番いい例が、外国語なんです。私の会社は、世界各地に子会社とか関連会社があります。そこへ転勤になった社員の子どもには、幼児も小学生も、中·高生もいる。しかし、行って一番早く現地に馴染むのは、二、三歳の子どもです。これは行った明くる日から現地の子と遊んでる。そして五、六歳の子どもは、1カ月も経つと、日常の会話はほとんど通じるんです。
なじ可哀相なのはお父さんとお母さん。転勤前に半年間、もう詰め込みで、行き先の国の言葉の勉強をして行く。けれど現地に行って買い物をしても、もう何を言ってるのかさっぱり分からない。すると、その小学校1年ぐらいの子どもがこう言ってるよ。
母親の姿をイメージさせてきました。

父親は中国の山の中で生まれて日本に出稼ぎに来た。

これよりこっちの方がいいって
とか、これはすごくおいしいって言ってるよなどと、親の通訳をしてくれるそのとき、その二、三歳の子にしても、五、六歳の子にしても、私はこれから英語を勉強するとか、Rとしの発音の違いは片方は舌を巻くとか、これはサイレントだけど最後に破裂音が出るなんて、そんな発音や発声法とかは全然考えていない。ワァーッと、現地の子どもと遊びながら自然に通じるようになっていくんです。大人になってからでは、英語のレッスンなんて大変です。
そう考えていくと、勉強というのは一体何なのかと思うわけです。普通勉強しなさいと言って、勉強が終わったら、大変だったね、ケーキと紅茶でもお上がりと、母親が一生懸命介抱してやってる。

子どものころにつけておけば将来

これはもう親にとっても子どもにとっても苦行ですね、おかしいと思う。
このように小さいときに身について基礎になるもの……例えば、音感もそうです。指揮者のカラヤンは、LPレコードを回して、三三回転と三三回転三分の一の回転数が違うと、これ違うって瞬間的に分かった。あんなもの二十歳や三十歳になってからいくら聞いたって、その差なんて分かりません。しかし、小さいときから音感教育をしてたら、周波数のO.何サイクルの差というのは分かってしまうんです。味でもみんなそうです。
だから、やはり幼児期に、ほんとうに基礎になるものをちゃんと教育してやる。しかも、それを苦ではなく楽しみながらやらせていく。
子どもだからできない

先生について

それには、親が問題になるんです。二歳、三歳の幼児というのは親が教育するしかしょうがない。そうすると、親のやる気によって子どもの能力は決まっていくことになるんです人間と他の動物のどこが違うかと言うと、もちろん動物の親も子どもを教育しますが、動物の場合は原始動物ほど先天的な遺伝の占める割合が高いんです。つまり、生まれてから後の教育による能力は全体の能力からしたら小さい反面、高級動物ほど先天的よりも後天的によるものが多い。これが教育というものなんです。
その証拠に、アミーバーみたいなものだったら、親子の区別は全くつきません。

    1. 子どものペースにのまれますね。
    1. いじめは今のように陰湿ではなかった。
    1. 先生がテープで何回も強調してくださっているよう