練習を続けないと夢を実現できなかったことを知る

子どもにつきつけているのです。

好きなものをやるときは、それこういうふうに、こんなにたくさん、ということを教えるんですを勉強だとは思いませんパソコンの好きな子が、夜中まで一週間も続けてやっていても、それは勉強とは思っていない。それがパソコン嫌いな人にパソコンを勉強しろと言ったら、もうウンウン言ってねじりはちまきで、頭ちょっとおかしくなりました。何とかなりませんかと言って来る。それが好きこそものの上手なのです。好きなことは勉強してると自分は思ってないけど、外から見たら勉強なんです。
まあ、そういうことですから、勉強というのは自分でするものであって、人から強引に注入されてもほとんど身に付かないのです。

子どもたちが緊張しているぶんそれをどうエデュースして、本人に学ぶ-学ぶという言葉は適切ではないのですが-好きなことをさせてあげるかということが、教育の基本なんだということを、みんな考えているのでしょうか、そういう傾向が全く見えないのです。
そして、そのゆとり教育で、確かに自由な時間を充分つくらせて、自分の楽しみとか興味あるものを発見させるんだと言っているけれど、じゃあいまの子どもに土曜·日曜休ませたら、ほんとうに自分を知るために何をするのかと言ったら、まあ、家でテレビゲームしてるかゲームセンターに行ったりするぐらいで、発見できるはずがない。

  • 先生にならなくてはならない
  • 教育の悲劇はここに始まる。
  • 教育のため

子どもたちの健全育成をはかるように私たちみん

母さんも自分先生もまた能力が低いから、社会にはどんなメニューがあって、どんなにおもしろいかということを自分が体験してないから、おもしろいよと言っても、子どもたちに先生、ほんとうに何がおもしろいのと言われると、
いや、それは、私は知らない。だけど、みんながそう言ってるんで。そんな説得力で子どもが満足するはずがない。
だから、ゆとりなんて言ってることは、全部机上の空論ですよ。私たちにしてみたら、何を言うとんねん!ですよ。あんな先生が私たちの税金使って、あんなバカな教育をしてることに、怒りを覚えます。もちろん、全てがそうだとは思いたくないのですが……。

しつけることだいま、もっとも興味·関心のあることから学べ
好きなことからやってみる、ということで言うと、
勉強は過去にーって古典からやるのではなくていまもっとも関心の高いもの、自分の好きなもの、そこから入れば、自ずと古典や基礎·基本は身に付これは日本の教育界が変わらない限り無理なことです。
どうも日本の教育では先人の単なる履歴を知らしものです。
しかし、まず古典からだということになっている。
めるに過ぎないのです。
しかし、いまのままの教育では、要するに、歴史からではダメで、自分が興味のあることをやろうとすれば、必ず文献を調べることになるのです。

子どもにやらせるとあとが大変!

そうすれば、独りでに歴史を知らざるを得なくなるのです。そうすれば、身に付くのです。
私のいた学校でも、何でこんなことを勉強しなくちゃいけないのかと、ほとんど分からないまま勉強しました。けれど好きなものは、何でこんなこととは決して思わず、「これを知らなかったら、この本を読んでも分からないから、とにかくこれ勉強しよう」となるのです。でも、全然関心のないもの嫌いなものは「これを勉強してこれだけしんどい思いをして、これはいったい自分の何の役に立つのだろう」と思ったものはたくさんあります。
いまの大学生の卒論は、先生にテーマを決めてもらわなければ書けないっていう現状があるそうですそれはもう喜劇ですよね。それをまた先生が決めてやるということ自体が頭に来る。君は何を考えてるんだって叱れと言いたい。ほんとうに情けない。
エデュースするということが、全てに欠けています。

母さんは自分の願望を押し付

教育ママがいる。企業の部長職·課長職も、言ってみれば部下の能力をエデュースしていないから、トータルに企業が社員をダメにしているということも言えるわけです力,f私は、部下教育というのは知識を教え込むのと違い、いかにその人の特徴を見い出して君はこれなら行けるぞ。やってみろ!と一言かけてあげるだけで、その人は元気も出るし、もう放っておいても自分で勉強するんです。勉強を教えるというのは、あまり可能性を持ってないのです。嫌なことはいくら言っても、右の耳から左の耳へ抜けるだけです。その人はこの時間さえやり過ごしたらいいと思ってるんです。


子どもたちが緊張しているぶん 教育の実践をどのようにしたらよいかについて 母が言ったこのひと言でずいぶん