母親の姿をイメージさせてきました。

先生に訴えるよりまずわが子

私もいろんなところから請われて、例えば大学でベンチャー論というのを、私立·国立を問わずやってますが、その中の一部の親が、堀場なんかの話に乗るなと言ってるということを、学生が私に告げに来た。「うちの親が言うには、お前変なこと考えるな。ちゃんとしたサラリーマンになれ。ベンチャなんてとんでもない」と。
しかし、私は、ベンチャービジネスをやれなどと、少しも言ってない。現に私のところへは、毎日のように手紙とかファックスとかEメールとか電話とかで、ベンチャービジネスに関する相談や質問が来るんです。しかし、ほとんどの人に対してやめなさいと進言しているんです。そのレベルで成功するほどベンチャーは簡単やないと。相談や質問の多くは実に内容軽薄で、「ビル·ゲイツがこう言うに、確率から言ったら突然変異みたいなもんだと。ベンチャーやってる人間がみんなビル·ゲイツみたいになって、何兆円も資産持つようになったら、世の中どうなるだからベンチャービジネスは、そんな安易なものと違う。

子どもだからできないほんとうにベンチャービジネスをやりたいのなら、もっとベースを固めてマーケティングをやり、そのうえ全ての勉強をしてから挑戦しなさいと言うんです。
私はベンチャービジネスで成功して、一日も早く上場したい」などと言ってる輩がいたが、全く目的を取り違えているとしか言いようがない。そういう輩が大部分だから、ベンチャービジネスが誤解されるんです。
私は軽薄なベンチャービジネス論を言ってるのではない。
人間がこれから生きていくということは
これは正直言うと全部ベンチャーなんです。これから一時間先に何が起こるか分からない。明日どうなるかも分からない。いわんや一年先にどうなるかなんて全く分からない。

  • 子どもが興味を持
  • 学校に入ったときあるい
  • 子どもの決断の理由を聞いてみるようにしましょう。

子どもたちにつかませてやりたい。

子どもの問題行動それを我々はリスクマネージメントもしながら、あるいは確率的ないろんな問題を考えながら、人生を歩んでいく。
カらなしし自己の価値観というのではなく、世の中の流れに身を任せて生きているのでは、あまりに自主性のない人間になってしまう。自分の能力を考え、自分の限界を考え、あるいはどこを伸ばしたらどのような人生が開けるかという展望と希望と夢を持ち、そして自分の自己実現のために日々を送るということこれがベンチャー魂なんです。

先生に叱られたと思ってはいけない。だから私は、人間はベンチャー魂がなくなったら、もう死に体だぞ、という話をしてるのだけれどベンチャー論というとすぐ、ひとつお前らなぁ、ベンチャービジネスやって、山-けてみいというようなことを、私がアジテートしてるように思っているんでしょう。
ことほどさように、世の中というのは、まだこういうふうに未熟です。これはしょうがない世の中全体のレベルを上げないと、教育だけが突出して改革することはできないのです。しかし、私の見る範囲内では、世の中の進行の中で、教育が一番改革スピードが遅いと思います。
何のために子どもを大学へ行かせるのか日本の企業が成長し発展するために、特に戦後、明確なスタンスを持ってやったのは、護送船団方式だったんです。同業が集まって、そしてみんな下手な喧嘩をせずに、仲良くやっていこうと。そして、それがやはり最大の利益をもたらす、という考え方でした。もちろん会社個々の競争はあったけれど日本ほど同業が集まって護送船団方式で動いたところは世界の中ではない。また、行政もなるべくそういう方向にやれと指導していた。

子育ての現実を見る

そういうことで、例えば重電見ても、鉄鋼見ても、金融関係見ても、企業格差というものを特に無理に持ち出さずに、逆にいえば一つのパターンの中に、いかにうまく入れ込むかということが、経営の基本だった。従って、そこに従事する人間も、特殊な考えを持ってる人よりも、しっかりとしたマニュアルを忠実に実行する人が欲しかったんです。
そうなると、結果論として言えるのは、やはり一流の大学をしかも優秀な成績で終えた人を採っておけば、まず企業としては間違いないということ。そういう人たちは、いわゆる偏差値教育的な成績が高かったから、正しいマニュアルさえ渡せば、そのマニュアルを非常に忠実に、しかもレベル高く守ってくれるということで、企業にとっては非常にありがたい人材だった。

育児には参画してきたという自負があります。

学校もよく休む。しかも企業教育をそんなにしなくとも、企業で必要とされる能力はすでにもうできあがっている。こういう背景から、大学のブランドというものが非常に効いたと思うんです。
ですから、個人の特異性というものは、企業にとっては逆にいらない、というよりも邪魔になったかもしれません。奇抜な発想を持った人や特異な個性を持った人は、一流大学に入る前に振り落とされてるはずなんです、偏差値教育的なことが嫌いですから。偏差値教育によって現在の日本の人材というのは、だんだん金なものになってきたということでしょう。戦前はいろんなおもしろい人物が出ていたのですがそこで、いま大学は何のためにあるのかということなんですが、大学そのものが、もうほとんど目的化されました。大学へ行くということが、本人のただ一つの、最後の目的になってしまった。本来大学というのは、より多くの情報や深い知識を得て、それをベースにして社会に貢献もするし、また自分の能力をそこで発揮することによって、生き甲斐·働き甲斐を学び、感じるための手段としてあったのですそれがいまや、一流大学に入ることが目的であって、入ってしまったら、後のコースは高級官僚になるか、大企業のサラリーマンになるかということで決まってしまっている。


子どもだからできない ヤマハ音楽教室を東京で探す 教育の実践をどのようにしたらよいかについて